加入者は“顧客”百貨店流マネジメントで健保組合を変える ―三越伊勢丹健康保険組合の挑戦―

百貨店での店舗マネジメントを経て、健康保険組合に常務理事として出向してきた大貫益枝さん。着任して感じたのは何か「変」という違和感。そこで「ヒト・モノ・カネ・情報」を効果的に活用していくことで、健康保険組合そして企業側にも変化が生まれてきたそうです。
《三越伊勢丹健康保険組合の概要》
2010年、三越伊勢丹健康保険組合として合併認可。母体企業は、2008年4月に三越と伊勢丹が経営統合して設立された株式会社三越伊勢丹ホールディングス。百貨店を中核とした小売・サービス業で、百貨店事業だけではなく、百貨店を支えるロジステック事業、カード金融事業、旅行事業や不動産事業など、さまざまな業種を含めたグループ企業。計31の事業所がある。
【加入者数】
総加入者数:19,369名 (うち被保険者:14,696名、女性が7割)
一般保険料率:9.9%、被保険者の平均年齢:47.6歳
【職員数】
常務理事含め14名(母体企業からの出向5名、派遣2名含む)
*データは2026年3月現在
加入者は“顧客”──健保組合もまたサービス業
―― はじめに、大貫さんのこれまでのキャリアについて教えてください。
1986年に株式会社三越に入社し、店頭での接客などの経験をへて店舗マネジメントに携わり、地方の事業所や事業会社で経験を積んできました。入社2年目から約7年間、労働組合の専従役員もしていて、経営や労務について学ばせていただきました。その中で健保組合の話も出てきましたから、健保組合は比較的身近な存在でした。2019年に、事業主である株式会社三越伊勢丹からの出向で健康保険組合(以下、健保組合)に勤務するようになり、常務理事を6年半務めました。現在は常務理事付という立場です。
――企業から健保組合に着任されて感じたことはどのようなことですか。
企業は利益追求が目的で、健保組合は非営利団体という違いがありますが、マネジメントの根幹は同じです。経営資源が「ヒト・モノ・カネ・情報」というのは、どんな組織でも変わりません。ただ、健保組合は「保健事業に取り組んで利益を出す」ではなく「加入者のヘルスリテラシーを高めて健康になる」ことを目標にしています。長期的な視点で健康を支えながら、結果として財政を安定させていくという点は、企業とは異なる部分だと思います。最初はその違いに少し戸惑いました。
―― 企業として三越伊勢丹も消費者へ直接サービスを提供します。健保組合も共通していませんか。
顧客満足の視点で考えるという意味では、共通しています。健保組合の限られた人的資源で、“顧客”である加入者に、より質の高いサービスを受けていただくということになりますから。そうした意味では、健保組合も“サービス業”といえます。“加入者ファースト”で考え、加入者の満足度を高めることに力を注ぐという点では、企業のサービスと通じると感じています。
改革の第一歩は「目安箱」 現場の声から始まった組織づくり
―― 健保組合の常務理事に着任して、どんな課題を感じましたか。
「変だな」と感じたのは、“前年度踏襲でよい”という感覚でしょうか。企業では、現状に満足せず、スピード感を持って、よりよい状況に変化させていくことが当たり前でしたので、そこには違和感を覚えました。また、紙の書類やアナログな作業が多いことや、職員のキャリア形成が難しいことも課題に感じました。保健事業では、事業を実施することそのものが目的になっていて、事業主とのコラボヘルスや健康経営への取組が必ずしも進んでいない印象でした。つまり「ヒト・モノ・カネ・情報」が十分に活用されていない状況だったのです。
―― そうした「変だな」と感じたことや課題の改善のために、どういったことにされましたか。
職員からすると、着任したばかりの私は健保組合の業務について素人です。いきなり大きな改革を進めることは難しい。そこでまず「働きやすい職場環境を自分たちでつくりましょう」と呼びかけ「目安箱」を設置しました。職員の声に耳を傾け、要望を受け止める姿勢を示し、職員との信頼関係を築くことが第一と考えたのです。
健診業務をデジタル化 職員が“本来の仕事”に集中できる環境へ
―― 職場環境の改善のほかには、どんなことに取り組んだのでしょうか。
特に大きな取り組みだったのが、健康診断業務のデジタル化です。それまでは、健保組合で健診の業務を一手に引き受けていて、何百という医療機関との契約や精算業務などを“アナログ”で処理していましたが、健診代行事業者を活用したり、予約システムや精算システムを導入し、かなりの業務効率化を図ることができました。
――健診をデジタル化したことで、事業主にもメリットはあったのでしょうか。
事業主にとっても、インパクトがあったと思います。事業主健診も同日に行われていて、健保組合と同じく“アナログ”で処理されていました。事業主健診による予約の日程調整などは事業主の健康管理推進室で行っていたので、デジタル化により、事業主も人手と工数が大幅に削減されました。こうした基盤整備にはコストがかかりますが、生産性は格段に上がりました。
――そのほかに、職場の環境整備で取り組んだことはありますか。
効果的だったのは、電話受付業務の改善です。目安箱に「電話の問い合わせに追われて本来すべき業務ができない」というものが多く、「加入者から同じ質問ばかり受ける」「加入者のためにがんばっているのに、わかってもらえない」といった不満が職員から聞かれました。そこで、健保組合のホームページのFAQの充実、チャットボットの導入により、以前は1日100件ほどあった電話の問い合わせが今では日によって違いはありますが10〜20件に減りました。電話を受け付ける時間も短縮し、職員が本来取り組みたい創造的な業務、つまり保健事業を充実させることに時間を使えるようになりました。
人は納得すれば動きだす 裁量が職員の力を引き出す
―― デジタル化など業務改善のほかに、基盤整備で取り組んだことはありますか。
健保組合の職員の人事・賃金制度の見直しにも着手しました。職員には、正社員、派遣社員、事業主からの出向と、様々な雇用形態があります。すべてを動かすのは人なので、こうした点の改善は非常に重要だと考えています。
―― 働きやすい環境になると、業務に向かう姿勢も前向きになりますね。
職員の目の輝きが変わりました。「常務、こうしたいです!」と、提案してくれるようになります。「自分がやっていることを評価してもらえてやりがいを感じる」「仕事が楽しい」という言葉も聞かれるようになりました。納得感を得られ裁量を持てると、人は動きだし、アイデアや意見が出てくるようになります。そうなったら、職員の自主性を尊重しながら進めていけばいい。これは、百貨店の店舗マネジメントの経験で学んだことです。
企業の人材戦略と連動 健保組合の「財政健全化計画」を策定
――保健事業については、どのようなことから着手しましたか。
それまでも担当者が保健事業に一生懸命に取り組んでいましたが、さらに体系的な展開が必要と感じていました。これまでの取り組みを否定するのではなく、「改革しなければ淘汰される」「できることはすぐに実行する」と繰り返し伝えながら進めていきました。
まずは中期計画を策定しましたが、ちょうどコロナ禍というタイミングで、健保組合は15億円の赤字という危機的状況に陥っていました。事業主が2年2期連続で赤字を出し、コスト削減を迫られ従業員数を減らしたことなどから、保険料収入が減ってしまったのです。
でもこれがいいきっかけになったと思います。保険料率を上げる前に、自分たちでできることを徹底的に行おうと考えたのです。事業主の中期計画の人事戦略と連動させる形で、健保組合の中期計画と「財政健全化計画」を策定しました。これにより、事業主と健保組合とが保健事業のあり方について共通認識を持てるようになり、変革を加速させるきっかけになったと思います。事業主にも、健保組合が保健事業に取り組むことは、コストではなく人的資本への投資であることを伝えていきました。
――事業主からは、保健事業は人的資本への投資という理解は得られたのでしょうか。
短期的な視点では、なかなか難しい点ではあります。ただ、事業主もメンタルヘルス、特にプレゼンティーイズムといわれる労働生産性の低下について課題意識をもっていました。従業員の健康維持・増進は、人材戦略にかかわる問題、経営戦略の一環としてとらえる必要性があることを伝えてきました。粘り強く話していくことで理解をしてもらえる“同志”を事業主側にも増やしていくことが大事ですよね。最初はたった1人でも、そこから2人、3人、4人……と増えていければ事業主との連携が進みます。
保健事業の「ユニット化」マスから個別の健康課題にアプローチ
―― 保健事業で重視したポイントについて教えてください。
重視したのは、加入者が自身の健康について自ら考えて、動くようにするための環境を整備することです。そのために、今まで“マス”でとらえていた加入者の健康課題を“個”としてとらえる必要がありました。健康について考えるきっかけは人それぞれ。そのタイミングがきたときに、その人にあった情報やメニューを提供できるよう、質と量の両面から健康情報を出し続けていくことにしました。
―― 具体的には、どのようなことを実施していますか。
事業主と共同で、入社から退職までのライフステージに応じた健康教育・研修のプログラムを構築しました。また、健康ポータルサイトや社内向けアプリを導入し、業務用のスマートフォンに標準装備しました。現在、加入者の98%がこのアプリに登録しています。この社内向けアプリのSNSを使って、毎日欠かさず、健保組合から健康情報を発信しています。
ほかにも、各事業所が保健事業を選択できる仕組み(保健事業のユニット化)をつくりました。当健保組合は、全国に多様な業態の事業所があり、事業所ごとに健康課題が異なります。保健事業のユニット化によって、プラスαの保健事業を実施したり、産業医や保健師がいない小規模な事業所でも質の高い保健事業を実施できるようにしました。
―― 保健事業のユニット化の内容を教えてください。
「情報」「お金」「メニュー」の3つをユニットにしています。
「情報」では、健康診断情報から、健保組合が『健康スコアリングレポート』『健康白書』を作成し、各事業所へ情報提供します。さらに医師監修の『健康すこやかレポート』をつけて各事業所の健康課題に基づくユニット事業を提案します。「お金」は、基礎定額にプラスして被保険者人数加算(加算分×被保険者数)の補助金をつけています。そして「メニュー」として、①生活習慣病、②5大がん、③プレゼンティーイズムの3つの健康課題ごとに、セミナー型、体験型、コミュニケーション型のプログラムやイベントを、さまざまなベンダーと提携して提案しています。保健事業のユニット化の取り組みは3年目になりますが、毎年メニューの見直しも行っています。
事業主と健保組合の目線を合わせる 2週間ごとの定例ミーティング
―― コラボヘルスを成功させるポイントについて教えてください
役割分担として、事業主は労働安全衛生法の実施や遵守、健康経営度調査項目を、健保組合はデータヘルス計画と高確法(高齢者の医療の確保に関する法律)の遵守と、それぞれの取り組むべきことに尽力し、その中で、重なり合う部分をいかに見いだすかがポイントです。
そのために、私が「これだ!」と思ったのが、データヘルス計画でした。以前は、健保組合が独自でつくった計画を事業主に説明・共有していましたが、現在は可能な限り、事業主と健保組合が共同で、計画や目標を作成しています。また、目線を合わせるために2週間に1回、定例ミーティングを実施しています。事業主の人事部門、健康経営部門と何かしらかの連絡網を設けて継続的に確認し合うことが重要だと実感しています。
―― コラボヘルスのなかで、安全衛生委員会や産業医はどのようにかかわっていますか。
以前、インフルエンザを「集団接種」から「個別接種に対する補助金」に変更する際に、産業医や保健師等を含めた安全衛生委員会で議論を進めていただきスムーズに実現できました。この例にならい、産業医、安全衛生委員会との協働を進めながらコラボヘルスを推進し、保健事業についてもPDCAサイクルを回していければと考えています。
実はつい先日、朗報がありました。事業主から産業医も含めた安全衛生委員会の活用を健康経営の経営レビューに組み込みましょうという発信があり、一歩前進したことを実感しています。
現在、安全衛生委員会への健保組合の関わり方(情報提供や委員会参加等)も再構築中で、これにより更にコラボヘルスの拡大強化に繋がるように委員会が1つのキーになって加速していければ良いと思っています。
組織を動かすのは情熱 人が人を動かす
―― 最後に、読者へのメッセージをお願いします。
最初のインスピレーションを大切にしていただきたいですね。私のように着任時の「変」という違和感をそのままにしないことが大事だと思います。そして、次の一歩を踏み出すために必要なのは、情熱でしょうか。情熱をもって人を動かすことは、人材育成や生産性向上につながり、組織は変わっていきます。職員に「これを実行してほしい」と思ったときに、やっぱり相手の目をしっかり見て気持ちを伝えます。そうしないと、相手の心に響かないですよね。AIが普及する時代でも、人が人を動かすことは変わらない。人間だからこそ持つインスピレーション、文化、倫理観、そして情熱。こうしたものを大切にすることが、組織を変える力になるのではないでしょうか。
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